俺のローカルヒーロー、小堀勝啓と『わ!WIDE』の記憶地図
- 俺カル

- 2025年12月11日
- 読了時間: 9分
更新日:2025年12月17日
ラジオから都会が聴こえた夜
田舎では夜にやることが少なかった。テレビは見過ぎるなと言われる昭和的な教育の中、自室のラジオを聴く習慣が自然と身についた。
小学5年生の自分にとって、FMはカッコよすぎてどこか退屈だった。でも、そこから流れる洋楽は、日本語じゃないのに妙にカッコよくて、新鮮だった。面白さを求めてザッピングを繰り返す中で出会ったのがCBCラジオで夜の9時からの「小堀勝啓のわ!WIDE」だった。
名古屋という、田舎からすれば遠い都会の番組。少し年上の若者たちが面白いと思う話、リスナーの投稿、そして小堀勝啓の語り口。何だかキラキラしたものを手に入れたようなワクワク感があって、夢中で聴いていた。
今はネットでリアルタイムの映像や情報が世界を駆け巡る時代。でも、そんなものは無かったあの頃、俺が見つけた“都会のキラキラ”は、ラジオの中にあった。電話リクエストやハガキ投稿で、遠くの誰かと繋がることができる。それは、ものすごく革新的な体験だった。
そんな俺のローカルヒーローが、小堀勝啓だった。


第2章:『わ!WIDE』という俺のサブカル空間
『小堀勝啓のわ!WIDE とにかく今夜がパラダイス』は、1982年から1989年までCBCラジオで放送された夜の若者向けワイド番組だった。
月曜〜木曜の21:00〜24:40という長尺の生放送枠は、東海地方の中高生たちにとって“夜の居場所”だった。親からテレビが制限されていた昭和の夜、ラジオは唯一の“自由なメディア”だった。
その番組構成は、首都圏の『てるてるワイド』(吉田照美)を研究して制作されたというが、模倣では終わらなかった。小堀勝啓というパーソナリティの個性が、番組の空気を決定づけた。彼の語り口は、オヤジギャグと音楽愛が混ざった“文化的雑談”であり、若者にとっては新鮮だった。リスナー投稿に即興でツッコミを入れながら進行するスタイルは、単なる読み上げではなく、聞き手の主観と話し手の主観が交差しているのを感じた。
番組の中には、メインコーナーとは言えないながらも、俺にとって強烈な印象を残した企画がいくつかある。そのひとつが「底抜けB級天国」だった。
「B級はA級の母、B級は万物のオリジン、B級は文化のおもちゃ箱、そしてB級こそぼくらのパラダイス」このコーナーは、番組全体の中では決してメジャーな位置づけではなかった。しかし、俺にとっては“サブカルチャー”の原体験だった。

当時、“B級”という言葉は“劣ったもの”という意味合いで使われていた。でもこのコーナーは、それを逆手に取った。B級こそが文化の源泉であり、創造の母胎であるという価値転換を、ラジオの中で堂々とやってのけた。
俺がこのコーナーで初めて知ったのが『死霊のはらわた』だった。血みどろで、グロくて、でもどこかユーモラスで、“B級の美学”が詰まった映画。その監督サム・ライミは、後に『スパイダーマン』をリメイクし、大ヒットとなった作品によってメジャーの頂点に立つ。つまり、「B級はA級の母」という言葉は、ただのキャッチコピーではなく、文化論として成立していたのだ。
同様に、「名盤解放同盟」的な企画も、番組の中では脇役的な存在だった。芸能人の“変な歌”を紹介するコーナーは、笑いとともに音楽批評の視点を持っていた。
たとえば、田村正和が映画『空いっぱいの涙』(1966年)で歌った主題歌。俳優としてのイメージとはかけ離れた、甘く切ない歌声が妙に浮いていて、逆にクセになる。そして何より、この曲の最大のインパクトは、田村正和がこの一曲を最後に、二度とマイクを持つことはなかったという事実にある。ユーモラスでありながら、どこか切ない。文化の片隅に咲いた一輪の珍花として、俺カルの記憶地図にしっかり刻まれている。
小林旭の「ダイナマイトが百五十屯」も忘れられない。タイトルからして爆発的だが、歌詞もまた凄まじい。「カンシャク玉だ!」「ダイナマイトがヨ!」と叫びながら、恋も涙もぶっ飛ばす昭和の男気が炸裂する。過剰な演出が逆に美しく、歌謡曲の中の特撮映画のような存在感だった。
そして「スナッキーで踊ろう」。地底から這い出るような男性ボーカルが「おーおーおーおー」「スナッキー」と呻き、コーラスが「スナッキー」と返すだけ。延々とそれだけ。なのに、すげー実験音楽。しかもこれが60年代というのだから、たまらない。エコーが異常に強くかけられ、まるで地獄谷の叫び。“電波ソングの原点”として再評価されるべき一曲だった。尚、この曲に関しての詳細は、是非とも当ブログの「俺の円盤」を見てほしい。
これらのコーナーは、番組の中心ではなかったが、俺の中では確実に“中心”だった。埋もれたもの、笑いで済まされるもの、誰も注目しないものに光を当て、偏愛と主観で文化を再構成すること。それは、俺カルブログの根底にある思想でもある。俺はこの番組に育てられたのであった。
第3章:小堀勝啓というMCの構造
『わ!ワイド』の魅力は、番組構成や投稿の面白さだけではなかった。何よりも、小堀勝啓というMCの存在が、番組全体の“空気”を決定づけていた。彼は単なる進行役ではなく、リスナーの主観に自分の主観で応答する“編集者”だった。
まず印象的だったのは、ツッコミの鋭さと軽妙さ。皮肉や自虐ネタには笑いを交え、真面目な悩みには誠実な言葉を添える。そのバランス感覚が絶妙で、投稿が“生きた言葉”になる瞬間を何度も体験した。
そして時折、彼は本気で説教をする。若者の無責任な言動や、社会に対する浅い批判に対して、「それは違うぞ」と真正面から向き合う姿勢があった。でもそれは、上から目線ではなく、“兄貴分”としての説教だった。「お前の気持ちはわかる。でも、だからこそ考えようぜ」という語り口が、リスナーとの信頼関係を築いていた。
この“説教とツッコミ”は、番組内のゲストや他番組にも向けられることがあった。特に印象的だったのが、木村一八との“ラジオ越しの対峙”である。
木村一八は、横山やすしの息子として注目されていたアイドルで、ニッポン放送制作の「ギリギリTwist and Shout」という箱番組を『わ!ワイド』の枠内で放送していた。その番組内での木村の発言は、かっこつけた不良的スタンスと、若者に対する無責任なトークが目立ち、リスナーの間でも賛否が分かれていた。
小堀勝啓は、そんな木村の姿勢に対して、名古屋の兄貴として“牙をむいた”。「一八のようなご立派な奴の番組のスポンサーをやるとはさすがですね」といった皮肉を込めた投稿を紹介しながら、文化的なツッコミを入れていくスタイルは、まさに“批評としてのラジオ”だった。

だがこの“牙”は、木村一八個人に向けられたものではなかった。彼の背後にある、三菱という大手スポンサーが、見識なきアイドルトークを良しとし、電波に乗せることを許容した構造そのものに対する、小堀なりの反骨だったのだ。
このやり取りは、当時のラジオ専門誌『ラジオパラダイス』(三才ブックス)でもとりあげられるほどの反響を呼んだ。一地方番組が、全国ネットのアイドル番組に対して、理論と笑いで批判を加えた最初で最後の例だったと、今でも俺は思っている。
この一件の後、木村一八サイドの箱番組「ギリギリTwist and Shout」が、静かに姿を消した。それは偶然かもしれないが、俺たちにとっては、地方ラジオ番組が全国キー局番組を正論で下した瞬間であり、『わ!WIDE』が大好きだった俺には本当に痛快だった。
俺にとって、小堀さんはMCではなく、“深夜の理解ある先生”だった。彼の語りに耳を傾けることで、自分の考え方や感じ方が少しずつ形づくられていった。それは、ラジオが単なる娯楽ではなく、文化的な育成装置だった時代の証でもある。

第4章『ミックスパイください』という“テレビ版わ!WIDE”
― 編集思想の継承と出演者たちの文化的連続性
ラジオでも多くの才能を発揮した小堀は次のステージであるTVへ移行させる為、CBC放送は『わ!WIDE』を大人気のうちに終了させる決断をし、1989年9月に最終回を迎える事になった。

小堀勝啓はラジオからテレビへと舞台を移し、その流れの中で誕生したのが、1990年春スタートのCBCテレビ『ミックスパイください』だった。
この番組は、単なる夕方の情報バラエティではない。それは、ラジオ的な語り口と「わ!WIDE」の番組構成をテレビに移植した“最強のローカル情報発信源”だった。
『ミックスパイください』は、タイトル通り「おいしそうな具(情報)が詰まっている」ことを意識した構成だった。番組は、タウン情報・中継・ゲストトーク・気象情報・視聴者投稿(FAX・ハガキ)などを混ぜ合わせ、硬軟自在な編集スタイルで展開された。
小堀勝啓は、番組開始から終了まで一貫して司会を務め、“右足はバラエティ、左足はジャーナリズム”というコンセプトを体現した。たとえば、いじめ問題が社会を揺るがした時期には、つボイノリオを迎えて1時間丸ごと討論番組にするなど、社会的責任を果たす姿勢もラジオ時代から変わらなかった。またその事もあって『ミックスパイください』の出演者には、『わ!ワイド』時代の空気を共有する面々が多く登場していた。
さらに番組には、THE ALFEE、SMAP、Mr.Children、宮崎駿、ジャッキー・チェン、淀川長治など、全国区の文化人・芸能人が多数出演。彼らは単なるプロモーションではなく、小堀とのトークコーナー「コボリックワールド」で掘り下げられたインタビューが行われた。また、「夕陽のバーゲン野郎」「イントロ娘」「スーパーラッキーレシート」などの企画は、“くだらなさ”を肯定する編集哲学の継承だった。それは、『わ!ワイド』の「くだらな隊」や「底抜けB級天国」の思想が、テレビで再構成された証でもある。
この『ミックスパイください』は、9年間も中部地区の夕方の顔ともいえる長寿番組であったが、1999年3月26日に終了した。奇しくも『ミックスパイください』の第一回と同じ“3月26日”だった。それは、文化的な円環のようでもあり、ひとつの思想が役割を終えた瞬間でもあった。
だが、俺たちの中では終わっていない。小堀勝啓という編集者が紡いだ“夜の思想”は、ラジオからテレビへ、そしてこのコラムと受け継がれている。情報を混ぜ、くだらなさを肯定し、主観で文化を編む。それが、俺たちの“ミックスパイ”なのだ。
参考・引用元一覧
『なつかしラジオ大全』(三才ブックス)
『ラジオパラダイス』(三才ブックス)1987年9月号、1988年8月号、1989年12月号、1990年8月号
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