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俺の電脳
1980年代から現在までのPC事情やゲーム事情、はたまた家電に至る俺カル目線のブログ


俺カルブログ vol.1 後編 T&E SOFT─個人と企業の文化的地層
■ファンとの交流を重視する先進性 『遥かなるオーガスタ』の高価格設定や、ファンの要望とややズレた技術偏重の姿勢など、T&E SOFTには独特のこだわりがあった。しかしそれでも、彼らは決してファンを無視していたわけではない。むしろ、ファンとの接点を重視する姿勢は、当時のソフトハウスの中でも際立っていた。 多くのソフトハウスが、小さなレンタルスペースや地元の小売店で交流会を開いていた時代に、T&E SOFTは「ATTACK」シリーズという大規模なファンイベントを展開していた。それは単なる製品発表会ではなく、「体験型カルチャー」として設計された場であり、ファンが企業と直接触れ合える貴重な機会だった。 さらにこの規模感は、メディアからの取材対象にもなりやすく、イベント費用以上の広報効果を生む合理性も備えていた。つまり、「ATTACK」はファンとの交流と企業広報を両立させた、先進的なイベント戦略だったと言える。 このシリーズは1980年代後半を通じて展開され、T&E SOFTが「何でも屋」としてジャンルを横断しながらも、ファンとの距離を縮めようとする姿勢を

俺カル
10月15日読了時間: 11分


俺カルブログ vol.1 前編 T&E SOFT─個人と企業の文化的地層
■地方発・兄弟創業のゲームメーカー 「俺カルブログ」シリーズ第1回は、中京地区の“俺たち”の誇り──T&E SOFTを取り上げる。この企業が多くのゲームファンや開発者をトリコにし、現在まで続く世界のゲーム文化の大きな礎となった事を、改めて個人的視点から深堀したい。 1982年、名古屋市千種区にて、横山俊朗・横山英二兄弟によって創業されたこの企業は、後にゲーム文化の地層に深く刻まれる存在となった。 社名の「T&E」は、当初は兄弟のイニシャルに由来していたが、やがて「Try & Exciting」、さらに「Technology & Entertainment」へと意味を変化させていく。その言葉の変遷には、企業としての成長と、時代に応じた“語り方”の模索が見て取れる。 二人の父・横山義視氏は、岐阜県各務原市那加にて那加中央劇場を経営していた人物であり、名古屋では中日本映像株式会社というビデオ機器代理店も営んでいた。 写真左の白いビルは現在別名となっているがゼンリン住宅地図2004年には「横山ビル」とある。当時の住所的にも那加中央劇場この一帯であったこと

俺カル
10月15日読了時間: 9分
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