俺カルブログ vol.2 前編 ファミコンランド─幻のチェーン店、資料なき記憶の交差点
- 俺カル

- 2025年9月21日
- 読了時間: 9分
更新日:2025年11月1日
■ 俺カルチャーMAPの原点
田んぼと畑しかなかった田舎から、一宮へ移り住んだローティーンの俺。山や川で遊んでいた日々から、コンクリートの街へ。その変化は、期待よりも不安が大きかった。そんな俺の不安を吹き飛ばしてくれたのが、街に点在する“綺羅星のような店”たちだった。
ゲームセンター、本屋、おもちゃ屋、CD屋、レンタルビデオ、楽器屋、スタジオ、カラオケ——そして何よりも、ファミコンランド。
ファミコンランドは、俺にとって「都市文化との最初の接点」であり、「放課後劇場」だった。その店のシャッターの色、ロゴの竜キャラ、買取カウンターでの記憶。すべてが、俺カルチャーMAPの出発点となったといっても過言ではない。

■ ファミコン王国の仕掛人──飯田欽次
ファミコンランドを創業したのは、愛知県一宮市出身の飯田欽次氏。1954年生まれ。1977年に愛知大学経済学部を卒業後、25歳で学習塾を創業。150名の生徒を抱えるまでに成長させるなど、地域密着型の事業運営に長けていた。
1985年、30歳のときに「ファミコンランド」のフランチャイズ本部を立ち上げ、テレビゲームの中古売買という新しいビジネススタイルを日本でも草分け的存在として確立した。この事業は、単なる流通モデルではなく、地域の子どもたちにゲーム文化に触れる居場所を提供する“劇場”のような空間を創出する結果となった。
その後、ROSAシステムやMDシステムによって商品管理と店舗運営を効率化。2000年には加盟店150店舗、年商64億円まで事業を拡大。事業売却後は経費削減コンサルタントや再生可能エネルギー分野へと活動の場を広げていったが、ファミコンランドの創出と展開は、彼のキャリアの中でも特筆すべき文化的功績である。


日本のファミコン販売専門チェーン店草創期 ※ファミコンランド以外の各情報はWikipediaより引用
店舗名 | 創業年 | 備考・特徴 |
ファミコンランド | 1985年 | 一宮発。草創期のファミコン専門店。 |
明響社(TVパニック) | 1981年 ※レンタルレコードとしてのスタート年 | 大阪発。1989年にTVパニック1号店開業。FC展開は1990年〜。 |
ブルート | 1988年 | 広島発。最盛期は400店舗以上。1999年に破産。 |
わんぱくこぞう | 1988年 | 香川発。後に「wanpaku」へ改称。TVパニックと合併しNESTAGEへ。 |
カメレオンクラブ | 1989年 | 山口発。中古ゲーム販売の法的闘争にも関与。2007年に民事再生法申請。 |
■ 株式会社あくとの構造とファミコンランドの拡張──三方良しの文化モデル
ファミコンランドを支えていたのは、株式会社あくとという企業だった。設立は1985年。所在地は愛知県一宮市。代表取締役は飯田欽次氏。事業内容は、ゲームソフトの販売、フランチャイズ事業、商品管理システムの開発・提供など多岐にわたる。
飯田氏は、もともと学習塾の経営者でもあり、子どもたちの成長や地域との関係性に深い関心を持っていた人物だ。だからこそ、単なる収益構造にとどまらず、「子どもが喜び、店舗が潤い、フランチャイズ本部も利益を得る」──そんな“三方良し”の構造を狙っていたのだと思う。
※三方良し:近江商人の経営哲学に由来する言葉で、「売り手良し・買い手良し・世間良し」の三者が満足する取引を理想とする考え方。
その思惑は、見事に成功した。
1990年代中盤、ファミコンランドは全国に約150店舗を展開し、年商は64億円に達した。これは、当時の中古ゲーム市場において圧倒的な規模であり、地域密着型のゲーム流通網としては国内最大級のネットワークだった。

直営店は10数店舗程度で、残りはフランチャイズ加盟店。加盟店はそれぞれの地域性に合わせて店舗を運営しながらも、共通のシステムとブランドのもとで連携していた。地方都市や郊外において、小規模ながらもゲームの文化的拠点として機能する店舗群が生まれていった。株式会社あくとは、フランチャイズ料とシステム使用料、そして仕入れの一元化による利益確保を軸に、効率的な収益モデルを構築した。つまり直営店舗のファミコンランドは、ゲームを売るための店舗というよりも、フランチャイズ収益モデルの実験場だった。
だが、飯田氏の思いは、子どもたちの記憶と地域の文化が育つ“場”を、意図的に創出することにあったのだろう。そして俺たちは、その場の中で夢を見て育っていったのだ。

![ぴあMAP95年中部版P117より CDレンタル店や中古レコード屋、レンタルビデオ店、楽器店などが多く、若者が集まるエリア。ファミコンランドがあったのはさくら草[喫/1F]のF]の字がそこ。](https://static.wixstatic.com/media/546248_456f778a4845499c95347026928868cb~mv2.png/v1/fill/w_980,h_463,al_c,q_90,usm_0.66_1.00_0.01,enc_avif,quality_auto/546248_456f778a4845499c95347026928868cb~mv2.png)


株式会社あくと 企業情報(2000年前後) ※旧株式会社あくとホームページより抜粋
項目 | 内容 |
社名 | 株式会社あくと(ACT Co., Ltd.) |
設立 | 1985年(昭和60年) |
本社所在地 | 愛知県一宮市 |
代表者 | 飯田欽次 |
主な事業 | ゲームソフト販売、FC事業、MDシステム開発 |
主なブランド | ファミコンランド、ROSAシステム、MDシステム |
■ ファミコンランドは“ゲーム文化の劇場”だった──記憶と資料の交差点

ファミコンランドは、ただゲームを売るだけの店ではなかった。そこは、俺たちにとって“ゲーム文化の劇場”だった。
店頭にはカセットやゲーム機本体がズラリと並び、攻略本や雑誌もあり、壁にはポスターがびっしり貼られていた。店内ではゲームの話題が飛び交い、放課後の子どもたちが集まる“文化の交差点”として機能していた。
特に都市部や駅前に展開された店舗は、地理的にも心理的にもアクセスしやすく、記憶に深く刻まれている。初代一宮店、一宮駅前店、2代目一宮店(一宮市富士)、森本店、大垣店──それぞれが地域の生活圏に合わせて、ちゃんと役割を持っていた。

引っ越したての俺が最初に出会ったのは、一宮駅前の旧店舗。初代一宮店だ。株式会社あくとの記録によれば、創業は1985年。この駅前が創業店だったのかどうか確かめたくて、まず一宮市立中央図書館へ向かった。目的は、1986年のゼンリン地図を確認すること。もし1985年に店が存在していたなら、翌年の地図に載っているはず──そう思って調べた。
ところが、86年の地図は所蔵されていなかった。電話帳で裏付けを取ろうとしたが、図書館には電話帳の類も一切なかった。有難いことにゼンリン地図86年のみ江南市図書館で発見する事が出来た。しかし電話帳は発見できなかった。

次に向かったのは愛知県図書館。県内の資料が揃っているはずだと期待したが、電話帳の1985年・1986年版も、どちらも無かった。仕方なく、周辺年度の電話帳を照合しながら、店舗の存在を推察するしかなかった。
そんな中、システム検索してくれた司書の方が「該当の資料は国立国会図書館にありますよ」と教えてくれた瞬間──腰が抜けた。一宮の1985年にまつわる情報が、地元には残っていない。地元の記憶を確かめるために、東京まで行かなきゃならない。それが、今の資料状況だった。

この経験は、俺カルチャーMAPを編集するうえでの大きな転機になった。俺の記憶を再構成するには、一次資料が必要だ。そして今回に関して一次資料は、簡単には手に入らなかった。※一次資料(当時のチラシ・写真・現地での聞き取りなど、直接得られた未加工の情報)
俺にとってこの作業は、編集というより“調査という名のハンティング”だった。記憶を掘り起こすたびに、いろんな場所で資料を探し、裏付けを取る。その繰り返しの中で、少しずつ核心に近づいていく。
だからこそ、俺は一次資料にこだわる。地図、電話帳、チラシ、写真──どれも断片でしかないけれど、記憶と照合することで、文化の地層が立ち上がってくる。
ファミコンランドは、俺にとってその交差点だった。そして、当ブログ俺カルチャーMAPは、その交差点をもう一度描き直すための地図になっている。
今回の調査は、愛知県図書館で打ち切ることになった。悔しいったらない。それでも、ここまで俺を突き動かしたのは──
飯田氏の「三方良し」の思想だった。子どもが喜び、店舗が潤い、フランチャイズ本部も利益を得る──その構造が、結果として“文化の劇場”を生んだ。そして俺たちは、その劇場の中で、ゲームを買い、語り、記憶を育てていた。それは、俺カルチャーMAPの原風景でもある。




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